合格祈願 | |
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必勝祈願 | |
商売繁盛 | |
その他 | 厄除け/交通安全/家内安全/海上安全 等 |
お松大権現のご利益
お松大権現は、必勝を願う(勝負の神さま)として多くの信仰を集めています。
訴訟必勝、受験合格、商売繁盛、スポーツ必勝、金運招来、除厄開運、大漁海上安全、病気平癒等。
境内には願いを書き入れた、たくさんの絵馬が奉納されています。
奉納された1万体の招き猫
お松大権現といえば、境内に所狭しと並ぶ招き猫が約1万体。ほかに(古瀬戸と言われる招き猫)4百体は神庫に保管されています。
右手は「金運・幸福」 左手は「千客万来」
右手を上げているのはだから、雄ねこで“金運や幸福”を呼んでくる。
左手を上げているのは雌ねこで“千客万来”を呼んでくるといわれています。
境内はねこだらけ。
ねこ、ねこ、ねこ、お松大権現は猫だらけ、 屋根の上にも猫瓦が鎮座していますので見つけてみてください。
貞享三年三月十五日の処刑。
お松の葬儀に関わったのは太龍寺の僧侶である。
お松に(義理大権現)の崇号を授けている。(儀理大権現のお札もある)
罪人であり、一庶民に権現という神格を授けることは、身分制度の否定であり、お上に知られれば厳罰が必定である。
そもそも仏教での教えでは、庶民に徳を説き、善行を勧めるが本義。
義を貫く生きざまに感銘しての僧侶の覚悟が偲ばれる。
また、村人たちも、お上を憚りこの事件を子々孫々へと語り伝えることが、権力統治の御世、絶対服従が身分制度の根幹、強権圧制へのささやかな抵抗であろうか。村人たちは、隠れキリシタンのように、お松を祭祀し、この事件を語り伝えている。
お松さま寵愛の猫(三毛)が御祭神
お松の無念をはらしたと言う御神猫(三毛)が祀られている。
御由緒 怪猫の章より抜粋
いつになく気分が優れず横になっていた奉行は、猫の声で目覚めている。
もう半時も眼ったであろうか。
あたりはすっかり薄墨が溶け入る様に暮れ滞んでいる。暗くなりかけた部屋を見まわすが、猫の気配などなかった。確か耳元で『ギャー』と言う悲鳴に似た猫の声であったが……。
奉行はこの程、政務の重責にひどく疲れを覚えていた。耳を澄ませてみるが、筧の水音の外に何も聞かれない。気のせいであろうと、そこへ奉行の容態を伺う女の声がした。顔は暮色で定かではないが、覚えのある下女の声である。女は行燈に向い灯を入れている。
ボーッと明らむその部屋に、奉行はその瞬間、全身の血が凍りつくような恐怖に襲われ、驚愕の声を揚げた。下方より照らし出された下女の不気味な白い顔。その女の影が障子にのびて、牙を剥いた怪奇な猫の姿となって映し出されたのである。
奉行は、身をよじり縁先に出る。助けを求めるその声に家臣たちは騒々しく駆けつける。奉行の指さすその部屋に、家臣たちは刀に手をかけ用心深く入る。しかし、誰もいない。ただ行燈の灯だけがジリジリとともっていた。
この日より奉行、三左衛門の家々は、この怪猫に悩まされ、奉行の失脚に続き、変死、病死相つぎ、代々閉門蟄居のとがをうけ、両家は滅亡している。
お松さま亡き後、その縁家である西嶋右左衛門兼冬の長子、家重が後を継ぎその子孫は、連綿として今日にいたっている。
お上を批判することは許されない。「おまはん、言われんけど、、、、、」と、ひそひそと語り継がれた(お松の悲劇)が、公然と語られ、祭祀されるに至ったのは、言論の自由が認められた明治以後である。
昭和初期には、この伝承を春子太夫一座による芝居での興行が喝采を拍し、お松の実名での演出もあり、これまで義理大権現からお松大権現に改称されている。